とりさんとチェコのピアノ

Ptáček a České Klavír

言葉の不自由さ、誰かとのつながり

最近、チェコ語へのモチベーションが甚だしく下がっているとりです。
しかし、週一回の個人レッスンには欠かさず通っていて、これは先生が好きで、単に会ってお喋りを楽しんでいます。先生も、ナーバスにならずにお喋りしましょ、と言ってくれたので、
肩の力が抜けて続けられている。

実は、ここ1ヶ月、語学学校の短期コースにも通っているのですが、
正直に言うと、グループレッスンになじめずかなりナーバスになってしまい、ここ数日サボっています。
生徒に、彼氏がチェコ人という理由でチェコに来ている中国の女の子、それから家族がお店を経営している若いベトナム人が多く、彼・彼女らはそういう環境にいるため吸収も早いし、なんか、彼・彼女には居場所があって、私にはない、と比べてしまうのですよね。

それで、そのぶん空いた時間にもやもや考えたりブログを書いたりしているわけです(爆)

5年前にドイツ行きを考えたとき、
チェコなんて頭に1ミリもなく、
知らないし、知ろうとも思わなかった。
こうしてチェコで、チェコ人の先生と、先生のお宅で、笑いあう、なんてこともなかったのだろうなー。

こんな赤子同様の言葉しか持たない(実際には持っているけど、表現できないだけの)私と、何時間も一緒にいられるのってすごいなあ、などと思ってしまう。言葉という道具がないから、万能さに溺れずに、意思疎通をはかれるというのはあるだろうけれど。要は、言葉を持たない私でも、受け入れてもらえる、ってことで、それはそれはとても幸福な気持ちで満たされるのでした。

このところ、もう日本に帰ろうか、との思いがわずかによぎりました(なんてこった)。

先日、このブログで自己紹介を公開したのですが、書くにあたって過去を振り返っていたら、すこしずつずれていったこと、つまり心残りを気に留めてしまったのですね。けれど、そのずれは、くさびのように硬く打ち込まれて、いまでは自分自身の中核となっている、というジレンマ。ときどきチカチカと点滅する。

美術や音楽が好きなインドアなのに、姉に付いて柔道をやった中学生。3年間理系として勉強してきたのに美術大学へ。一般教養に、数学や理系科目がなくてがっかりしたこと。大学3年生では、パフォーミングアーツを研究し、舞台関係のインターンやボランティアも数多く経験、舞踊学の教授のもとをドイツに訪ねることまでしたけれど、関東大震災をきっかけに、ものづくりだ、となり、舞台芸術やアートマネジメントではなく、製造業の会社へ。ずっと留学をしたくて、フランスか北欧かドイツか、と考えていたはずなのに、チェコへ。

この流れはなんなんだろう、何か意味があるのかしらって、ときどき考えるのです。

こういう、自分で決めて動けることならまだしも、人との関係はもっと流動的で不確実。

いま恋をしているとか、素敵な男性との出会いがあったとかはまったくないのですが(残念なことに)、好きな人の存在が、あまりに大切すぎて、言いたいことを言えない、というのが10代の頃の恋だったなあと(20代も同じかもしれない汗)。あのとき何かを言っていたら、何かアクションを起こしていたら、変わったかもしれない。この「もし」は後悔ではなく、選択肢や分岐点の不思議についての考察。

私は彼のはにかんだ笑顔を見られたかもしれないし、相手は私が真っ赤になるのを新鮮な気持ちで眺められたかもしれない。種類とか質はわからないけれど、何かを手にする、と思う。そこで何も言わない、何もアクションを起こさないのは「変化が怖い」から。そこで「何か新しい世界が開ける」と考えることもできるのに、おそれの方を選択していた、ということ。その後、恋愛に関しては盛大に振られたり、言えないままで終わったり、色々あった。

なんでこんなことを書く気になったのだろう。めずらしい。そうか、言葉の不自由さから、人間同士が共有できるもの、ってなんだろう?と考えたのだ。好きな人って特別で一生懸命だから、人との関係を考えるときによく思い出す。なんで一緒にいられるのかな、とか。人と人が一緒にいるにあたって、軽蔑したり怒ったりする理由はもちろんないけれど、つながり、という目に見えない不確かなものが、なぜ、どのように存在するのだろうかと。


6月までは今のお仕事も継続していただけるようなので、
しっかり、弾ききるつもり。

ホドネー シュタスティー、(Good Luck がんばってね!)と両手をグーにして先生から見送られた帰り道。

大好きな先生ともっとお喋りしたいな~と思ったら、
勉強しないと!という気持ちになった。
やっぱり語学を向上させるべくがんばりたいです。アーティストこそ言語が必要、と私は考えているので、体現できるようにならなければ。

街灯に照らされて、木の枝が金色をしていた。

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(ときどき変なぐあいの雲が空に浮かんでいる)

人間の潜在能力は、個人のそれ以上に可能性を秘めているのかもしれない。

惹かれあったり、仲良くなったりするのは、
理屈じゃない。
学歴とか(多少はあるけれど)じゃない。

万有引力とは引き合う孤独の力
谷川俊太郎『二十億光年の孤独』より

この世界には、物理学の教科書にも載っていない強い力がひとつある
ー市川拓司『そのときは彼によろしく』より 

中高生のころの愛読書にあった一節を思い出しました。
ほんとうに、あるかもしれない、と思った。忘れかけていたな。