とりさんとチェコのピアノ

Ptáček a České Klavír

4月、春のプラハに帰ってきた!

ふたたびプラハの学生生活がはじまった。

3月末のイースター休暇が明けて、別にこちらでは新学期でもなんでもないのだが、

私がすこしピアノを離れて、

とあるユース・プログラムへ参加し、

旅をしていたからだ。

1月から3月はほとんどプラハにいなかった。

そういう時間が私には必要だし、

そうして付かず離れずにいるほうが、自然なことだ。

とりあえず不器用なチェコ語は健在だし、

これまでとちがうアプローチで、ピアノやチェコ生活をつづけていけそうだ。私がそうしたいのだ。

 

だからときどきチェコとピアノしばりのあるこのブログから逃げたくなり、

ブログそのものの使いにくさもあって

逃避する。こうして帰って来る場所があるのだからいいよね。

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再開したレッスンの日は、

夏のような天気だった。

芝生には人々が群れをなして寝ころび、

日差しが痛い。

先生もしきりに水を飲んでいた。ファンタだったかな。

 

ひさしぶりに鳴らすチェコのピアノの音は

ばかーんと明るく乾いた木の音がした。わるくない。

 

先生が私を目にして発した最初のひとことは、

You look young!

だった。

白い長袖Tシャツに、黒いズボン。

大好きなUK発ブランド People tree でフル・コーディネートされている。

高校生のようにも見えるかもしれない。

それで私に気づかずに通りすぎてしまいそうだったと、伝えかったらしい。

 

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帰ってから、夕食をつくった。料理好きではないけれど、共同キッチンのがらんどうのあいまに、思いきり自分でごはんがつくれるのは嬉しい。

肉じゃがと人参と豚肉の炒め物、人参の葉っぱの和え物をつくった。それから雑穀ご飯も炊いた。ザ・日本食である。

 

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この日常は、日本のそれとはやはりすこしちがう。

そうだ。何をしているかよくわからない人がいていい場所。

電車やバスは遅れるし、本数もかたよっていて、人々は手持ちぶたさにぼんやりとそれらを待つ。

お腹を空かせて店のレジを抜けたとたんにバナナを食べ始めたカップルや、ただ立っているひと、座っているひと、そこらによくわからない人たち、がいる。

私もバスを待つついでにゴミ箱の横に立ってミカンの皮を向いている。

子どもがそばを駆けまわる。

 

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暗黙のおとがめ、のようなものがない。

汚い道端の、誰もがまどろむような午後の陽の光の下で、誰が私にミカンを食べてはいけないと言うだろう。

季節はずれのミカンはすっぱくて、手が黄色くなった。

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