とりさんとチェコのピアノ

Ptáček a České Klavír

ピアノを弾くときに考えること〜みちくさ編

気に入っているピアノで、3時間ほど弾いた。

 

脳みその7が、意志に反した思考で

ベタッとおおわれているみたいで

変な疲れ方をした。

 

「ピアノを弾いているときは何を考えているの?」

と尋ねられたことがある。

 

ピアノを弾くときに何を考えるか、またあらためて真面目に考えるとして、

今日、考えていたことを書きます。

 

 

私は自分を誤認しているところがある。

自分自身の能力を過信していたり、苦手と思い込んでいたりする。

見て見ぬふりをしているようなものだ。

それは、自身の在りたい理想の姿と実際の状態、を無視して、

無理に、在りたい自分の姿がそこにあるかのようにふるまう。

つまり、体裁づくり。

夏に向けて、ゴージャスな水着やサングラスなどの小物を揃えてから、シェイプ・アップするように、高級な良いピアノを買ってからピアノを習い始めるように、

形から入ったり、ビギナーのうちからホンモノに触れることは大切だ。

けれど、ときにはステップの工程表を描き、

ステップごとに使う道具や、アプローチの方法を変えて

ステップ・アップしていく、

というのがだいじだなあと。

 

 

私は社会承認欲求が強く、

海外に住むのも、ただ住むことを、ステータスとしているところがある。

前述のように、

それは現在の自分の実力をごまかしている、体裁のため、とも言えます。

しかし私は、

「海外に住んでいる」状態を手に入れることで、

「日本の当たり前には縛られたくありませんよ」

「そこのところ覚えていてね」

という、態度を示しているのです。

 

その態度を暗に示したいがために、

自分を「海外に住む」という状態に設定している。

 

とりさん live in Czech Republic.

 

には、そんな意味も込められているのです。

 

 

住む環境や職業……選択する意志の背景には、

往々にして、自分の示したい態度が現れているのかもしれません。

 

自分でもようやく

この意味に

気づきました。

 

 

それから、

もうひとつ。

よく企業や組織に必要な、根まわしじゃないけれど、

それに似たようなスキルは、生活においても必要だな、と。

 

頼まなきゃやってもらえないし、

それはわたしの担当じゃないから

知らない、でおわり。

 

人によって、組織によって

対応がちがう。

 

それでも、チェコは日本によく似ている。

 

よくフランスなどは

お役所仕事で時間がかかりすぎて、

移民局での手続きに苦労すると聞くけれど、

チェコには、ルーズなところがほとんどない。

 

今朝もトラムが止まって、大勢の人がぞろぞろと一方に歩く

めずらしい光景をみたけれど、

5分もしないうちに警察が到着し、動かなくなったトラムを牽引していった。

 

あるオフィスでは、スタッフが女性ひとり。

オープン時間が限られていて、さらに、彼女は何故かほとんどオフィスにいないため、

非常に困る……

 

今まで見てきたなかで、行動が読めないのは彼女くらいです。

 

言葉がわからなくても、人を信用することはできる。

 

私はできない

とはっきり断られるのは、信用できる。

ある秘書室のスタッフは、

英語がまったくできない。 

紙に書いたとしても、英語ができる人に頼むから、私はやらない

と、かたくなに対応を断る。

私がその人の立場でも、断るだろう。

言葉の伝わり間違いなどで

問題がおきるのを避けようとするからだ。

 

言葉ができないけれど、どうやったら信用してもらえるだろう?

 

経験によって、思考の奥行きが広がり、思いやりも深くなる。

 

最近は、ビザ更新はじめ、事務仕事に追われているので、こんなことをよく考えます。

そして、間違いが起らないよう、英語ばかりしゃべっています。チェコ語がかすんでいきそうだ……。

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